夏休みの淡い思い出

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先日ポリスのking of pain を聞いていて、遥か昔、学生時代の頃を思い出しました。

 

高校1年か2年の夏休み。当時僕は山梨県の高校に通っていました。で、当然千葉の実家から通えないため、そういう学生用に寮があって一部の生徒はそこで生活を共にしていました。

 

あれは新学期も近い、確か8月29日か30日頃だったと思います。暇を持て余した友人共と寮の一室でダラダラとしていたときでした。友人の一人が 青春18切符って知ってる?それ買ってこれから行先も決めずにどっか行ってみない?と言い出しました。これといってやることのない、しかし時間は有り余っている僕達は、だけれども、明後日学校が始まるという一種のスリル感も手伝って直ぐに乗り気になりました。宛てもない旅に、軽い興奮も覚えてよっしゃ行ってみようということになりました。

 

(青春18きっぷ;簡単に言うと買って5日間位?以内なら普通電車なら乗り放題という、画期的な切符。学生向けに昭和58年から発売開始となっているので、恐らく発売されたばかりの頃のことだと思います。)

 

言い出したのが、その日の夕方でメンバーは確か4人だったと思います。本当にこれから行けるのかと軽い不安感を抱きながら、夕暮れの甲府駅に歩いて到着。着いたころはもう外は暗かったと思います。販売所で青春18きっぷありますか?と恐る恐る聞いたらあっさり売ってくれました。(このころって何事も恐る恐るきいてませんでしたか?まだ社会に出てなくて、自分に自信が無くて。)

購入して、ほんじゃ何処に行く?となりました。でも、とりあえず東京でしょうということになり、中央線の新宿行きの普通電車(各駅停車!)に乗り込みました。駅で電車待ちもしていたから大分遅かったと思います。車内は時期的にでしょうか、ガラガラでほぼ我々4人だけだっだと思います。車両が動き出すと、窓からの風が顔に当たって気持ち良かったのを覚えてます。程なくして電車が進むと外は漆黒の闇。本当に東京に着くのかな?等と思いながらいつの間にか寝てしまいました。新宿に着いたのは何時ころだったでしょうか?恐らくその後の展開から推測すると早朝だったと思います。

 

東京は当然初めてではありませんが、寮生活で久しぶりであり何もかも新鮮でした。しかし、青春18きっぷは乗り放題です。ここで留まる訳にはいきません。どういういきさつかは全く覚えてませんがそのまま(通勤電車の方の)中央線に乗って、秋葉原、そこから山手線で日暮里、そこから常磐線の普通電車に乗り換えたと思います。

 

常磐線に乗っていると最初の頃はサラリーマン、学生が多くて、車窓から見える景色も都会で、それなりに混んでいました。 が、柏を過ぎた当たりから空いてきて客層もどちらかというと高齢の方や子連れのお母さん等が多くなってきました。景色も田んぼ等が多くなり徐々にのんびりとした空気になってきて何故かほっとした僕は寝てしまったのを記憶しております。かなり時間が経った頃、友達がどこまで行く?と、当然といえば当然の話になってきました。どうせならいけるところまで行こうということになり、終点まで行くことになりました。どういういきさつかははっきり思い出せませんが、もしかしたら乗り換え等したかもしれませんが、仙台駅に到着し、ここが終点であり最終目的地となりました。

 

初めての仙台、男4人あてもなく、当初のポリシー通り(というか元々適当なので)行き当たりばったりで目的地も決めずに目についたそこら辺のバスに乗り込みました。そういうわけで、それからどこに着いたかも分からず適当に下車してぶらぶら歩いていました。いまでもその時の光景は思い出せますが、それがどこかといわれると全く分かりません。しかし乗り物に乗っている間中、会話以外では僕はウオークマンで(古!)そのころリリースされたばかりだと思います、ポリスのシンクロニシティというアルバムを何度もずっと聞いていました。

だから今でもシンクロニシティを聞くとその頃のことがフラッシュバックのように思い出されます。

 

程なくその日も夕暮れからあっという間に夜になり、当然宿の予約等してない僕達はどこで寝るかということになりました。仙台の駅近くなら治安も大丈夫だろうということになり、うろうろ歩いていると、しかしどうしようもなく眠くなり、とある銀行の前の植木の下で僕らは寝てしまいました。まあ野宿です。

朝になり、通勤通学の人でごった返すメインストリートであることを、その喧噪で知った僕達は多少の恥ずかしさと共に起きだし、いそいそとその場を離れていきました。そのままどうやって甲府まで帰ったかは全く覚えておりません。

 

若かったころって、とっても無責任で後先考えずに思い付きですぐに行動してしまう、それでいて大体許されてしまう特権のようなものがありました。今では一種憧れの感情とともにしみじみと思いだされます。

多分道中もっと色々エピソードもあったのだと思いますが、今となっては思い出せません。同窓会があれば、いい酒の肴になるのかな?とも思います。

でも、いまだに漆黒の闇の中、中央線の車窓から外を眺めながらの晩夏のひんやりと冷たいけれど心地いい風は、これからの旅の期待感等色々な感情と相まって本当に良かったなと思いだされます。

 

もう二度とあんな、本当の意味での思い付きの旅はできないかもしれません。(普通はどんな旅でも多少なりとも計画すると思います。)でも、リタイアしたら奥さんと行き当たりばったりのきままな車中泊の旅が出来たらな、とも思ったりするこの頃です。

 

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